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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)8538号 判決 1975年10月30日

原告

工藤信子

ほか二名

被告

大石康治

主文

被告は、原告工藤信子に対し金一、四九四万一、九〇二円及び内金一、三九四万一、九〇二円に対する昭和四五年九月一二日から、内金一〇〇万円に対する昭和五〇年一〇月三一日から、各支払済みまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

原告工藤信子のその余の請求並びに原告工藤徹雄及び同工藤美津子の各請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告工藤信子と被告との間に生じた分はこれを三分し、その二は被告の負担とし、その余は原告工藤信子の負担とし、原告工藤徹雄及び同工藤美津子と被告との間に生じた分は原告工藤徹雄及び同工藤美津子の連帯負担とする。

この判決は、原告工藤信子勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告工藤信子に対し、金三、二〇一万二、一六四円及び内金二、六五一万二、一六四円に対する昭和四五年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を、内金五五〇万円に対する昭和五〇年一〇月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告工藤徹雄及び同工藤美津子に対し、それぞれ金五〇万円及びこれらに対する昭和四五年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は、原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二請求原因

原告ら訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

原告工藤信子(以下「原告信子」という。)は、次の交通事故(以下「本件事故」という。)により傷害を受けた。

1  発生時 昭和四五年九月一二日午前零時三〇分ころ

2  発生地 東京都江戸川区中央一丁目一二番七号江戸川区役所裏交差点(以下「本件交差点」という。)付近路上

3  加害車両(1) 分離前の相被告平田実(以下「平田」という。)運転の普通乗用自動車(足立五五す三二一八号。以下「甲車」という。)

加害車両(2) 泉実運転の普通乗用自動車(足立五か一三五一号。以下「乙車」という。)

4  被害者 原告信子

5  事故態様

京葉道路方面から新小岩方面へ向けて進行中の甲車が本件交差点手前に一時停止の標識が設置されているにかかわらず、一時停止義務を怠り、時速約四〇キロメートルの速度で本件交差点に進入し、折柄、千葉方面から小松川方面へ向け時速約四五キロメートルの速度で、徐行義務を怠り、本件交差点に進入した乙車と出合頭に衝突した結果、甲車はハンドル操作の狂つたまま進行し、付近を歩行中の原告信子にその背後から衝突し、傷害を負わせた。

二  原告信子の被つた傷害及びその治療経過

原告信子は、本件事故により、右下腿開放性粉砕骨折並びに筋及び腱挫滅等の傷害を被り、昭和四五年九月一二日から同四六年一二月二六日まで京葉病院へ入院し、昭和四七年四月二一日から同年八月三日まで弘前市立病院へ入院し、その後、現在まで同病院へ通院して治療を受け、現在自宅療養中であるが、右大腿切断、右大腿神経腫等の後遺障害を遺している。

三  責任原因

被告は、甲車を所有し、本件事故当時、自己の清掃業の下請をしていた訴取下前の相被告佐藤勝男(以下「佐藤」という。)に甲車を貸与していたものであるところ、本件事故は、佐藤が甲車に同乗し、これを平田に運転させて走行中、惹起されたものである。

したがつて、被告は、甲車を自己のため運行の用に供していた者というべきであるから、自動車損害賠償保障法第三条の規定により、本件事故により原告らの被つた後記損害を賠償する義務がある。

四  損害

原告らは、本件事故により次の損害を受けた。

1  原告信子の損害

(一) 休業損害及び逸失利益

(1) 休業損害 金三八五万九、〇四五円

原告信子は、昭和二四年一月一九日生まれの独身女性であり、本件事故当時、東京都江戸川区中央一丁目九番二号英新興業有限会社経営のバー「若竹」に勤務し、一か月金六万九、六〇〇円の給与を支給されていた。

サービス業における昭和四五年を一〇〇とした場合の賃金指数は、昭和四六年は一一六・四であり、昭和四七年は一三四・八である。昭和四八年の賃金指数は、未だ公表されていないが、昭和四五年から同四七年までの賃金指数の上昇経過及び我が国における年功序列型賃金体系を考慮すると、昭和四七年の賃金指数の一〇パーセント増である一四八・二になるものと予測される。

原告信子は、本件事故による負傷のため前記のとおり治療を受け、昭和四九年六月一二日現在未だに後遺症治療のため就労できない状態であり、この期間の休業損害は、次のとおりである。

昭和四五年九月一三日から昭和四六年九月一二日まで 金八三万五、二〇〇円

同月一三日から昭和四七年九月一二日まで 金九七万二、一七二円

同月一三日から昭和四八年九月一二日まで 金一一二万五、八四九円

同月一三日から昭和四九年六月一二日まで 金九二万五、八二四円

(2) 逸失利益(昭和四九年六月一三日以降)金二、三八七万九、四七五円

原告信子は、昭和四九年六月一三日現在二五才であり、今後、六三才まで就労し、少なくとも毎年金一二三万七、七六六円の収入を得ることができたものであつたところ、本件事故による右大腿切断、右大腿神経腫等の後遺症(自動車損害賠償保障法施行令別表四級五号に該当)によつて、同日から三八年間にわたり、労働能力を九二パーセント喪失した。しかして、原告信子の右期間の逸失利益は、右年収額を基礎とし、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算出すると金二、三八七万九、四七五円となる。

(二) 入院諸雑費 金四八万三、二二五円

原告信子は、京葉病院入院中の一五か月間、日用雑貨品の購入費、栄養補食費、電話代、切手代、病院内テレビの賃借料等のため毎月金三万円を支出し、また、弘前市立病院へ入院後は、栄養補食費として金一万八、六五〇円、日用品雑貨購入費として金一万四、五七五円を支出した。

(三) 通院交通費 金三、五〇〇円

原告信子は、自宅から弘前市立病院まで六回往復の交通費として右金額を支出した。

(四) 医師及び看護婦に対する謝礼 金八、五〇〇円

原告信子は、弘前市立病院において、医師及び看護婦に対する謝礼として右金額を支出した。

(五) 治療費 金二〇万八、四一九円

原告信子は、弘前市立病院における治療費として右金額を支出した。

(六) 慰藉料 金四九三万円

原告信子の年令、性別、傷害の程度、治療経過、後遺症等の諸事情に照らし、原告信子が本件事故によつて被つた肉体的、精神的苦痛に対する慰藉料額は、金四九三万円が相当である。

(七) 損害の填補 金六八六万円

原告信子は、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から金六八六万円を受領し、これを前記(六)の損害全部と(一)(1)の損害の内払金として充当する。

(八) 弁護士費用 金五五〇万円

原告信子は、被告が本件事故による損害を賠償しないので、本件訴訟の提起を弁護士今泉政信に委任し、その報酬として金五五〇万円を支払う旨約した。

2  原告工藤徹雄(以下「原告徹雄」という。)及び原告工藤美津子(以下「原告美津子」という。)の損害

原告徹雄及び原告美津子は、原告信子の父母であるが、一人娘である原告信子を前記後遺症を有する不具者にされたことにより絶えず不安と心痛に悩まされ、原告信子の将来に対しても不安と危惧を痛感しているものであるところ、原告徹雄及び原告美津子の叙上のような精神的損害は、これを金銭に評価するとそれぞれ金五〇万円を下らない。

五  よつて、被告に対し、原告信子は、金三、二〇一万二、一六四円及び内弁護士費用を控除した金二、六五一万二、一六四円に対する本件事故の発生の日である昭和四五年九月一二日から、内弁護士費用である金五五〇万円に対する本件訴訟の判決言渡の日の翌日である昭和五〇年一〇月三一日から支払済みまで各民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告徹雄及び原告美津子は、各金五〇万円及びこれらに対する本件事故の発生の日である昭和四五年九月一二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三被告の答弁

被告は請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。

一  請求原因一項1ないし4の事実は、認める。同項5の事実のうち、甲車と乙車とが出合頭に衝突し、更に、甲車が本件事故現場付近を歩行中の原告信子に衝突し、原告信子が負傷したことは認めるが、その余の事実並びに同二項の事実は知らない。

二  同三項の事実のうち、本件事故当時被告が清掃業を営み、佐藤に対し甲車を貸与していたことは認めるが、佐藤が被告の清掃業の下請をしていたとの事実は否認し、その余の事実は知らない。甲車は、被告が大日自動車(現在の商号は東京日産業販)から月賦購入したものであり、本件事故当時、大日自動車が所有権を留保していた。

三  同四項の事実は、争う。

第四証拠関係〔略〕

理由

(争いのない事実)

一  原告ら主張の日時及び場所において、甲車と乙車とが出合頭に衝突し、その結果、甲車が付近を歩行中の原告信子に衝突し、これにより原告信子が負傷したこと、並びに本件事故当時、甲車は被告が佐藤に貸与していたものであることは、当事者間に争いがない。

(被告の運行供用者責任の有無について)

二 前示争いのない事実に、原告らと平田との間に(なお、〔証拠略〕については、原告らと分離前の相被告隅田交通株式会社及び佐藤との間においても)、成立に争いがないから、被告との関係においても成立を認むべき〔証拠略〕を総合すると、被告は甲車を大日自動車(現在の商号は、東京日産業販)より月賦購入し(この事実は、被告の自認するところである。)、本件事故当時、甲車を佐藤に貸与していたものであるところ、平田は佐藤に頼まれ、佐藤の引越し荷物を搬送すべく、佐藤を同乗させ、甲車を運転中、泉実運転の乙車と衝突し、本件事故を惹き起こしたものであることを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

被告は、本件事故当時、甲車は月賦購入のため、その所有権は大日自動車(東京日産業販)に留保され、被告は甲車の所有者ではなかつた旨主張する。しかし、自動車の所有権留保付月賦販売の場合、売主は、特段の事情のない限り販売代金債権の確保のためにだけ所有権を留保するにすぎないものと解すべきであり、自動車を買主に引き渡し、その使用に委ねた以上は、買主が該自動車の使用についての支配権を有し、かつ、その使用による利益を享受するものというべきところ、右特段の事情につき被告において何ら主張、立証のない本件においては、甲車の買主である被告は甲車に対する運行支配及び運行利益を有する者であるから、自動車損害賠償保障法第二条にいう保有者といわざるをえない。

しかして、叙上認定の事実によると、被告は、甲車の運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条の規定により、本件事故により原告らが被つた損害を賠償する義務があるものというべきである。

(原告信子の損害)

三 原告信子は、本件事故により次のとおりの損害を被つたものというべきである。

1  受傷、治療経過、後遺症等について

まず、原告信子が本件事故により受けた傷害の部位、程度及び治療経過等をみるに、〔証拠略〕を総合すると、原告信子は、本件事故により右大腿開放性粉砕骨折、筋及び腱挫滅等の傷害を受け、本件事故当日である昭和四五年九月一二日から昭和四六年一二月二六日まで京葉病院に入院し、右大腿部切断手術、右大腿神経腫摘出手術等の治療を受け、退院後もなお右大腿断端部神経鞘腫による疼痛が激しく、このため、昭和四七年四月二一日から同年八月三日まで弘前市立病院に入院し、神経鞘腫切除手術及び神経ブロツク療法による治療を受け、その後も昭和四九年一月ころまで右病院に通院したこと、現在、右大腿喪失、疼痛を伴う右大腿神経腫の後遺症を残し、常時、骨盤等に疼痛があり、鎮痛剤を服用していることが認められる。

2  休業損害及び逸失利益について

(一)  〔証拠略〕によると、原告信子は、昭和二四年七月一九日生まれの独身女性であり、中学校卒業後、弘前市所在の水産工場等に約三年勤務し、その後昭和四二年ころから北海道でホステス、芸者をして稼働し、昭和四五年七月二七日から本件事故当日まで東京都江戸川区中央一丁目九番二号英新興業有限会社経営のバー「若竹」にホステスとして勤務し、一日平均金二、二五〇円、一か月当り金六万七、五〇〇円の収入を得、その収入を得るための衣裳、美容等の必要経費として、少なくとも毎月収入額の三割の支出を要したこと、及び原告信子は本件事故後全く稼働していないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

叙上認定したところからすると、原告信子は、本件事故に遭わなければ、その年令、本件事故前の稼働状況、ホステスとしての職業の特殊性等からして、少なくとも本件事故の発生の日から一四年後である昭和五九年九月一一日までホステスとして稼働し、その間本件事故前と同水準の収入をあげることができ、また、その後、ほぼ六七才に達する昭和九一年九月一一日までの三二年間は、当裁判所に顕著な労働大臣官房統計情報部編賃金構造基本統計調査報告(以下「賃金センサス」という。)による昭和四八年度における一般女子労働者の平均賃金(年収金八七万一、八〇〇円)(同年度賃金センサス第一巻第二表による。)に三割増をした金額(昭和四九年度の労働者賃金が前年度に比し平均三割以上の増加を来たしたことは、当裁判所に顕著な事実である。)の収入を得ることができたものと推認すべきである。しかして、賃金センサスによると、産業計企業規模計女子労働者平均給与額は、昭和四五年度を一〇〇とすると、昭和四六年度は一一六、昭和四七年度は一三五、昭和四八年度は一七三となつていることに徴すると、ホステスの収入は、少なくとも右と同じ割合で増加し、また、昭和四九年は前年度に比し三割の増加を来たしたものと推認するのが相当である。

(二)  前記認定の原告信子の傷害の治療経過、後遺症の部位、程度、現在の症状等に〔証拠略〕を総合すると、原告信子は、本件事故の発生の日である昭和四五年九月一二日から七年後である昭和五二年九月一一日までの間は労働能力の一〇〇パーセントを喪失し、その後昭和五二年九月一二日から昭和九一年九月一一日までの間はその労働能力の少なくとも七〇パーセントを失つたものと認めるを相当とする。

(三)  以上の損害(ホステスとして就労可能期間については、その収入から必要経費三割を控除した金額)につき、ライプニツツ式により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故当時の現在価格を算出する(円以下切捨)と金一、五四六万四、三一五円となる。

3  入院関係諸経費

〔証拠略〕によると、原告信子は、京葉病院及び弘前市立病院に入院中、補食費、雑費等の入院諸雑費として金四八万三、二二五円を支出したことが認められるが、前記認定の原告信子の傷害の部位、程度、治療期間等に照らすと、右金員のうち入院日数五七六日について一日当り金三〇〇円の割合により算出した金一七万二、八〇〇円をもつて本件事故により支出を余儀なくされた費用と認めるのが相当である。

4  通院交通費

〔証拠略〕によると、原告信子は、弘前市立病院入院後、昭和四九年一月ころまでの間、右病院へ通院するため合計金三、五〇〇円を支出したことが認められるから、右金員は本件事故による損害というべきである。

5  医師及び看護婦に対する謝礼

〔証拠略〕によると、原告信子は、弘前市立病院入院中、医師及び看護婦への謝礼のため金八、五〇〇円を支出したことが認められ、前記原告信子の受傷、治療経過及び後遺症に照らすと、右金員は本件事故により被つた損害と認めるのが相当である。

6  治療費

〔証拠略〕を総合すると、原告信子は、弘前市立病院において本件事故による傷害の治療費として、金一五万二、七八七円を支出したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

7  慰藉料

前記認定の原告信子の受傷の部位、程度、その治療経過及び後遺症の内容並びに原告信子が独身女性であることその他諸般の事情を考慮すると、原告信子の本件事故により被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、昭和四五年九月一二日現在の現価で金五〇〇万円をもつて相当と認めるべきである。

8  損害の填補

原告信子が本件事故により同原告の被つた損害の填補として自賠責保険から金六八六万円を受領し、これを慰藉料の全部並びに休業損害及び逸失利益の一部に充当したことは原告信子の自認するところであるから、原告信子の被つた以上損害金のうち請求できるのは金一、三九四万一、九〇二円である。

9  弁護士費用

〔証拠略〕によると、被告において本件事故による原告信子の損害を任意に弁済しないため、原告信子はやむなく本件訴訟の提起遂行を弁護士今泉政信(原告ら訴訟代理人)に委任し、弁護士費用として判決認容額の二割を支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過及び認容額に照らすと、金一〇〇万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害とみるのが相当である。

(原告徹雄及び原告美津子の損害)

四 〔証拠略〕によると、原告信子は、原告徹雄及び原告美津子夫婦の一人娘であり、原告徹雄及び原告美津子は前記後遺症を有する原告信子の将来を案じ悲嘆に暮れていることが認められ、この事実に前記認定の原告信子の後遺症の部位及び程度を総合すると、原告徹雄及び原告美津子が本件事故により多大の精神的苦痛を被つたことを認めるに難くないが、前記認定のとおり、原告信子は、本件事故の約三年前から両親である原告徹雄及び原告美津子のもとを離れ、芸者、ホステスとして独立した生計を営んでいたものであり、原告美津子本人尋問の結果によると、原告信子には男兄弟があり、原告信子は原告徹雄及び原告美津子に仕送りしている状況になかつたことが窺われ、このような事情に前記認定の原告信子の傷害の程度(将来長期にわたり介護を必要とするほどのものではない。)を総合勘案すると、原告徹雄及び原告美津子の被つた叙上の精神的苦痛は、いまだ原告信子が生命を害された場合に比肩すべきか、又は右場合に比して著しく劣らない程度の精神上の苦痛に相当するものと認めることはできず、このような場合には、原告徹雄及び原告美津子は、自己の権利として、慰藉料を請求しえないものといわざるをえない。

(むすび)

五 よつて、原告信子の本訴請求は金一、四九四万一、九〇二円及び内金一、三九四万一、九〇二円に対する本件事故の日である昭和四五年九月一二日から、内金一〇〇万円(弁護士費用)に対する本判決言渡の日の翌日である昭和五〇年一〇月三一日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、同原告のその余の請求並びにその余の原告らの請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条及び第九三条第一項ただし書の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 武居二郎 玉城征駟郎 伊藤保信)

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